1月22日 アントワープにてピアノ・デュオの演奏会
以前に何度か演奏した事のある、ルーベンス・ハウスでの演奏会です。今回は今までとは違う作曲家を取り上げてみようと思い、ラフマニノフとベルギーの作曲家ヨーゼフ・ヨンゲンをプログラムに加えました。このヨンゲンという作曲家はブリュッセル音楽院の学長を務めた事もあるという人で、今回始めて演奏しましたが、フランス音楽の影響を強く受けた、とても繊細な作曲家です。今まで何度も名前を耳にし、それでもなかなか演奏する機会がなかったのですが、今回ようやくその時が来ました。これをきっかけに、更に他のベルギー作曲家も取り上げてみようと思います。 ラフマニノフは良く知られたロシアの作曲家ですが、彼の連弾曲は独奏曲に比べると耳にする機会が少ないように思います。今回演奏した「6つの小品」は彼の初期の作品ですが、すでに独特の和声と雰囲気がにじみ出て、とても魅力的な音楽となっています。僕もこの曲が大変気に入り、今後も繰り返し演奏していきたいと思っています。実はこの演奏会の10日程前に、1つの出来事がありました。これはとても強く印象に残った出来事なので、この日記に書く事にしました。
約2年前に、元ベルギー国大使であったヴァンデルリンデン氏の90歳の記念音楽会で演奏した事があります(2年前の日記参照)。そのヴァンデルリンデン氏にもう1度お会いしたのです。 ある日の夜、氏のご家族から連絡を頂きました。ヴァンデルリンデン氏は実は末期の癌で、いつ何が起きてもおかしくない状態だというのです。そして、氏の最後の望みが僕のピアノ演奏を聴く事だと。その数日後に僕はヴァンデルリンデン氏の家にいました。家というよりは、お城のような立派な建物で、リビングにはグランド・ピアノがあり、素敵な絵画が飾られていました。以前はこの部屋でサロン・コンサートが頻繁に催されていたそうです。ご家族の計らいでそこには既に多くの友人達が駆けつけていました。つまり、ここで僕のサロン・コンサートが行われたのです。ヴァンデルリンデン氏は歩く事はもう無理なご様子で、車椅子に座っておられましたが、思いの他お元気そうに見えました。急な出来事だったので、特別な曲を準備する事は出来ず、その時手の内に入っていた、ショパン、グリーグ、デュルレの小品を演奏しました。最初に、グリーグを弾くと言った時にはとても嬉しそうなジェスチャーをなさり、ショパンの演奏では、最後の和音を弾く前に「ブラヴォー!」の叫び声。演奏会を堪能して下さったようです。演奏会の後には皆の前で短いスピーチをし、とても気丈に見えました。 この日は大雪で、外は真っ白な銀世界です。一室から大きな庭が見え、この雪景色の美しさには思わず声を失いました。耳元で誰かが言います。「雪は全ての音を吸い取ってしまう。その後には静寂だけが残る」と。その通りだと思いました。
それから数日が経ち、ヴァンデルリンデン氏が亡くなった事を聞きました。あの演奏会の日の夜に亡くなったそうです。ご息女が仰いました。「最後に素敵な贈り物を貰えて、彼は幸せでした。有難う。私はあの日の事を一生忘れないでしょう。」 人生の最後まで音楽を愛し続けた、ヴァンデルリンデン氏。心よりご冥福をお祈り致します。僕もあの日の事は一生忘れられないと思います。
2010年02月06日 (土)
和泉清孝

